自己紹介

おざきちとは何者?

はじめまして。おざきちです。

オペナース(手術室看護師)を10年以上やっています。

この経験から「ブログを通してお役に立てないか」

そんな思いからブログを開始しました。

ブログは

①これから手術する予定がある方

②手術室で働くってどんな感じか気になるナース

③オペナースの方

④健康でいるためにはどんな生活を送ればいいか知りたい方

⑤立ち寄ってくれた方(チャリ・子育て・夫婦円満の秘訣)

に向けて書いていきます。

高校卒業後、新聞屋になる

簡単に私の経歴を書きます。

高校を卒業後に新聞屋になりました。

専業(配達・集金・営業)スタッフです。

営業は嫌いでした。

5年位勤めました。

オーストラリアにワーキングホリデー

お金が貯まったのでワーキングホリデーに行きました。

オーストラリアに1年滞在。

英語習得すればよかった。

日本人と行動を共にすることが多くて、いまだに英語が話せません。

サーフィンを始めました。


オーストラリアから日本に帰るまで、約半年アジアを旅しました。

バリ島・カンボジア・タイ・香港

途中でインド洋の大津波に遭遇。

私は被害には合わなかったけど、友人には心配されました。

帰国後、看護学校にいく

帰国後、「ナースになる」と決断。

漠然と、医療系の資格で働くことを考えていました。

でも、1年半も働かずに旅していたのでお金がありません。

「看護師の学校なら払えそう」

医療系でも看護師は学費が安かったのです。


元の新聞屋に住み込みながら、学費を貯めて受験勉強開始。

勉強は得意ではないが、座学は嫌いではありません。

1年位で公立の専門学校から合格通知が届きました。

3年間の学生生活、実技は苦手。

バイトしながらも、座学のテストは落とさず。


国家試験合格!

なんとなく医療系、

安いから看護学校。

口では

「大津波で多くの犠牲者を見て、次は力になりたい」

だから、ナースになりました!

とか、言っていたけど。。。


中身はからっぽ。

理想も夢もなかった。

「ナースになった!」は、

スタートのはずなのに、私にはゴールだった。

挨拶できない、やる気ない⁉28才新人ナース現る!

挨拶できない、やる気ない、28才の新人現る!

挨拶する気はあるけど、自分から声は出せない。

やる気はあるけど、勉強法や具体的に何を学んでいいか分からない。

分からないことが分からない。

結局、その日暮らし。

振り返ることもしない。

そんな新人に病院は甘くない!

鬼のような先輩ナースが担当についた。

病棟配属の3か月は本当に辛かった。

何度も辞めたくなった。

でも、辞められない。

5年間は働き続けないといけない。

病院から頂いていた奨学金はお礼奉公。

5年勤め続ければ、返済義務なし。

だが、途中で辞める者は一括返済と決まっている。

その額360万円。

同期で脱落し、辞める者もいた。

なんとか私は踏みとどまっていた。

4か月目に奇跡が起きた!

入職前に希望していたオペ室に異動となったのだ。

なぜオペ室を希望していたか不明だ。

継母がオペナースだったからか、

対人が苦手でオペ室なら勤まると考えていたのか。

どちらにせよ、この病棟から抜け出せるのはうれしかった。

オペナースに

異動しても私の中身は変わらず。

働く姿勢、学ぶ意欲が欠如していた。

変化のない私には、病棟と変わらない環境が待っていた。

後々上司となるパワハラ先輩ナースが、指導によく入るようになったのだ。

辛い日々はすぐに始まった。

逃げ出さないように新車をローンで買った。

ローンで自分を縛り付けようとしたのだ。

ネットワークビジネスとの出会い


そんなメンタルのやられている時期に、その話はやってきた。

同じように、辛い思いを共有している看護学校の同級生から。

「不労所得を手にして、辛い労働からは解放されよう!」

このネットワークビジネスで。

その副業はとても楽しそうだった。

夏はビーチで、冬は雪山で、春は桜の下でイベント!

多くの出会いがあり刺激的なのだ。

日々の仕事に怯え、辞めたい私には魅力的に見えた。

「自由な時間とお金」を得るためにすぐに入会した。

様々なイベントは、自分の友人をこのネットワークビジネスに誘うため。

料理教室やメイクアップ教室などもそのビジネスの商品の魅力を伝えるため。

いま考えれば全てはビジネスのためだと分かるのだが、

当時は非日常に逃げるのが楽しく、ただイベントに参加していた。

ネットワークビジネスは多くの製品を扱っていた。

すべての製品を販売する権利がある。

私が友人に製品を販売したら、その何割かが私の収入となる。

私がこのビジネスを友人に伝えて、その友人がさらに友人に製品を販売する。

すると、友人の売り上げも私の売り上げに含むことができる。

要は、ねずみ講とも呼ばれるビジネスだ。

「まずは自分が使って、製品の良さを体験して、製品を好きにならないと」

このビジネスの成功者は、そんなことを言っていた。

素直に、私は多くの製品を購入し続けた。

製品は好きだった。

ただ値段が相場の数倍するものがたくさんあった。

良い顧客にはなった。

しかし、ビジネスとしては成功しなかった。

営業嫌い、対人苦手、そしてただ非日常に逃げ出したいだけ。

そんな私が、どんなに良い製品だろうと素敵なビジネスだろうと伝えられる訳がなかった。

ローンで購入。

借金だけが膨れ上がった。

気が付けば、借金は200万円になった。

目を覚ました。

危機感が湧いてきた。 

そういう訳ではなかった。

ただビジネスで芽も出ず、続ける理由もなかった。

自然とビジネスから離れていった、というのが正しい表現だ。

ギャンブル狂い

ビジネスに当てていた時間が空いた。

心のスキマを埋めたものはギャンブルだった。

職場の先輩や仲間にパチンコをやっている者がいた。

初めは軽い気持ちで、誘われるがままに付いていった。

それが次第に、自分が誘うようになり、1人で行くようになった。

ビギナーズラックは続かない。

たまに勝つけど、行けば行くほどお金は減った。

不思議なもので、勝ったら気持ち良くてまた行きたくなる。

負けたら悔しくて、「次は勝ってやる」とまた行きたくなる。

勝ち負け関係なく、また行きたくなるのだ。

気分の高揚、興奮がクセになるのか?

これがギャンブルの依存性なのか?

借金をすることはなかった。

だが、その日の暮らしに困ることはあった。

ガスと水道の支払いが滞り、止められることがあったのだ。

仕事は相変わらず楽しくなかった。

院内の飲み会にはよく参加していた。

飲み会とギャンブルで院内の知り合いが増えて、その分働きやすくなった。

だが、自己研鑚に時間を割くわけでもない。

働きぶりは相変わらず悪かった。

新人は6年くらい入って来なかった。

その間、ずっと私が下っ端である。

働きが悪く、下っ端である私の扱いはヒドいものだ。

噂話好きのお姉さん看護師

(うちは職場も高齢化社会、お姉さんと言っても50代前後)

パワハラ先輩に毒舌医師の餌食である。

自分にも非はあった。

それでもこの長い下積み時代はよく耐えたと褒めたい。

現在、2児の父

長々と、暗黒下積み時代を書いてしまった。

そんな私も結婚して、今は2児の父である。

ギャンブルもやめ、その後に熱中したスマホゲームもやめた。

ようやく、家族との時間を大切にし、自分を磨くことを始めた。

遅かったけど、遅すぎることはない。


人は誰しも、いまこの瞬間が一番若い。

やるなら若い方がいい。

それならば、いまからやり始めればいいんだ。

どんな挑戦でも。

ブログに挑戦

私はこのブログに挑戦する。

この挑戦を通して、

・ナース新人時代に同じような思いをする人を少しでも減らせるように

・手術を受ける方の不安を少しでも取り除けるように

・手術室に働く方に何か還元できるように

・健康寿命が少しでも伸ばせるように

微力ながら、貢献したい。


自己紹介を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。